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Patch × TRUMP series 10th Anniversary『SPECTER』感想







ひどい話だった!!!!!!!!!!!!(だいさんじ)

大惨事だし大賛辞。ダブルミーニング。この脚本を書いた人は人の心がないのでは(褒め言葉)って心底思いました。
今までTRUMPシリーズに触れたことがなかったので観劇前に予習するかとても悩んでいたのですが、色々と考えた結果何も見ず、何も調べずに大阪へ。
大阪では観劇後とにっっっっかく放心状態になりました。「狂ってる…どいつもこいつも…」って、思考が全然まとまらなかった。そこから東京までの間に初演のDVDを観たり、とっても嬉しいはじめての繭期上映会があったり(福利厚生が整っている…!)、知識や思い入れが増した状態で挑んだ東京公演。








全っっ然違いました、見える世界が。

それがとても新鮮で、新たな感情の芽生えもあって、初見を二度味わえた気分になりました。お得だ!
演劇は演じる人と場所があるだけでは成り立たなくて、観る人がいることで完成する。それを改めて実感しました。公演が始まりどんどん研ぎ澄まされていき、磨かれ、熱が増していく。それを肌で、目で、耳で、心で感じた作品でした。


どこから観始めるかで作品の受け取り方が違うといわれるTRUMPシリーズ。
再演SPECTERから始まった私は正直なところソフィよりも萬里に、クラウスに、数多の亡霊たちに絶望し心をかき乱されました。私にとってはソフィ誕生の物語でもなく、バンリの過去物語でもなかった。様々なドラマが散りばめられていて、一言で誰の話とは表現しがたい。
観る度にそれぞれのキャラクターに思い入れが強くなっていきました。ちなみに公演期間中に一番大きく変わったのは、サトクリフへの気持ち。これは別の記事に書きます。


今回が初めての劇団Patch本公演観劇だったので、映像の中でしか知らなかった皆さんが目の前にいる、それだけで感動でした。
再演するにあたり、皆さんの中に様々な想いがあったのだろうなと思います。私は過去を詳しく知っている訳でもないし、DVDで観た作品もまだほんの数本(再販・在庫復活をぜひ…!)なので、知ったような口を聞くのは大変憚られますが、初めての劇団Patch&TRUMPシリーズが今作でよかったなと思っています。それくらい心から満たされる体験が出来た観劇でした。










※以下、感想・考察入り乱れた内容のはじまりはじまりです!













私は昔から不良が好きで、ごくせんにハマっていた時期は小田切竜や矢吹隼人に湧き、某ソシャゲでは紫髪のテンプレヤンキーに熱を上げております。そんな私が彼にハマらないわけがなかった……







臥萬里!!!
(ジャー忍観た時もでしたが松井さん推しキャラになりがち)(萬里くん別に不良ではないよっていう冷静な私がツッコミを入れています)


最後の方は毎公演「愛してる!!死なないで!!!」って泣き叫びそうになってました。熱くて、面白いほど真っ直ぐで、頼ってもいいんだ、信じてもいいんだと思える大人の男。
ノームが弟子にしてくれと頼むシーン。あそこはノームにとって初めて信頼出来る大人が萬里だったんだなぁ、と思わせるやり取りでした。すごく大好きなシーンです。ハリエットやロダンに対しても育ててくれた恩は感じているだろうけど、信頼して着いていけるかと問われたらそれはまた違うのかなって。
村の誰とも心のつながりを感じられなかったノームにとって、彼との出会いは衝撃だったのだろうなぁ。だって、ただ胸糞悪いって理由でどこの誰とも知らないような自分を助けてくれたんだもん。そんな強烈な真っ直ぐさが眩しいです萬里くん。


そんな萬里くんがヴァンプと戦う時一気に戦闘モードになるのが少年漫画~!!!って感じ(?)で大好きでした。
ヒューゴと対峙した時の萬里の憎しみに染った目。そこには繭期のヴァンプに対しての怒りに加えて、"愛する相手がいる女性を襲うヴァンプ"という図にトラウマ抉られたせいもあったのかなと思いました。憎悪が爆発した萬里くんの、一瞬我を忘れて襲いかかる姿。過去を抱える少年漫画主人公っぽさを感じてしまう…!
復讐をするためにハンターになったのではないという萬里の言葉は、今でこそ本当かもしれないけれど、かつては憎くて憎くて復讐心だけで生きていた時代もあったのかもしれないですよね。



萬里の凄惨なラストシーンはあまりの残虐さに直視できないくらいでした。お芝居なのに、あの瞬間本物の殺意が渦をまいていて、本当に具合が悪くなりそうだった。

千秋楽での「死なせやしない」が、今でも耳の中で響いて忘れられません。起き上がってノームに駆け寄るところです。それまで私が観た中で、一番強く響いてくる叫びでした。
彼の人生がそこに詰まっていて、重たくて、強くて、痛くて仕方なくて、身動きが取れなくなった。迷いなく身体が動いてしまう萬里に泣きじゃくって、全ての記憶が消えてしまうところでした本当に。


サトクリフは萬里の死を「無数の刃に貫かれて、惨めに死んでいく」と言っていたけれど、萬里の最期は決して『惨め』なんかじゃなかった。
力強い眼差しが、彼の真っ直ぐな心は折れていないことを雄弁に語っていた。あまりにもかっこいい男だ臥萬里…。
死なせやしないっていうのは彼の誓いだったと思う。自分やリリィにそう誓うことで、過去の自分を何とか許して立ち続けられたのかなって思ってしまうのは私が萬里くんに夢とロマンを抱いているから…。
死を迎えたことで彼は漸くゆっくりと横になれるのだろうな。永久の眠りの中でみる夢がどうか穏やかなものであるようにと願わずにはいられないよ。

歴が短いので知ったような口は利かないようにしているのですが、これだけは言いたい…!
松井さんと萬里は、限りなく近い種類の人間な気がします。(手も足も口もすぐに出ちゃうところは置いといて)萬里の真っ直ぐさや頼れるところやとても優しいところ。
それくらい私にとって松井萬里は現実だった…。









えぇ…すき……幸せになって…なキャラクターランキング萬里くんと同率一位はクラウスなんですよね!どんどんぱふぱふー!

大阪ではクラウスの感情が空っぽの理由を、悠久の時を一人で生きてきたからだと思っていました。その間で色々なことがあったのだろうな位には感じていましたが、その詳細を知ってからの東京公演、まぁーーークラウスあなたって人は…!
回を追うごとに増す空っぽ感、何が大事なものが抜け落ちている感、本当に恐ろしかった。口元あれだけ微笑んでるのに、その目は何も映していないんだ。




クラウスあなた、何度崖から身を投げたの…?

何度死のうとしたの?

その度に死ねず、再生する自分の身体にどれほど絶望してきたの…?




って、私が絶望した。

アレンを失ってからずっと空っぽだった彼の心に、少しだけ明かりを灯したクラナッハの研究。永遠に枯れない花は呪いながら咲き続けるのか、という命題は間違いなくクラウス自身のことを指していますよね(後にそれはソフィとなるけれど)
クラウスが永遠の命であることなんて誰が決めたかわからないけど、クラウスはその誰かをずっと呪ってきたのかな。それとももうそんな気持ちも忘れてしまったかな。


クラウスが切られた時に「ちょっとぶつかったかな」くらいの動きしかしないのは、彼に『痛み』がないからなのでしょうか。
物理的に傷つけられて呻いたり、身体を折り曲げて苦しむのは痛みがあるからで、その感覚がない彼にとって切られるという行為は、ほんの少し衝撃を受けるだけなのかもしれない。痛みは身体的なものと心的なものとあるけど、クラウスは心的な痛みも少しずつ感じなくなってしまっていたのかな。クラナッハに、「もう辞めてくれ」と吐き出す姿の不器用さがそう感じさせました。

痛みも、絶望も、喜びも、全部の感情をどこかに置き去りにしてしまったようなクラウス。
そんな彼が最後子猫くんを抱き上げた時、やっとその両の手で求めたものを掴むことが出来たんだなぁって、「アレン」と呼ぶ穏やかな声と表情が本当に嬉しかった。同時に得体の知れない怖さもあったけど。




イニシアチブの暴走が精神の乱れに影響されるとすると、村人達が燃えて灰になる瞬間が一番動揺した時だと思うのですが、そのきっかけはローザの「お前が死ね」なんですよね。そんなの絶対クラウス相手に言ったらいけないのに。クラウスだって死ねるものなら死にたいんだ。「お前がTRUMPなんかであるものか」なんて彼自身がどれほど望んだか。
ローザの父が始めた供物を捧げるという行為は、TRUMPのためのグランギニョルではなかったけれど、結果としてやっていることは同じことですよね。同時間軸のグランギニョルと対比的な場面や台詞が多いSPECTERですがそんな所も対にならなくても…。



神でも化け物でもなく、彼は"不老不死の力"があるだけのみんなと何も違わない吸血種なんだなぁとふと思った瞬間がありました。
不老不死の力があることを特別だと言いたげなクラナッハに対して、「それが何だって言うんです?」って言葉を返した時にそんな気がしたんですが、本意は彼のみぞ知るですね…。でもクラウスのモンスターペアレント()な私は、原初だTRUMPだ神様だなんて崇められていい迷惑だよね、クラウスいいんだよ、怒っていいんだよ、よしよしってしたくなるんです。モンスターと言えば磯ミュの中山さん本当にたまらないので未来永劫歌い続けてくださいね怪人と探偵楽しみにしております…!(脱線)


(これだけ語ってきて、まだまだ沢山あるTRUMPシリーズに全然違うこと記されてたらどうしようって思い始めました許してください…。)






回を増す事にシャドの陰が濃くなっていくのが心配でした。今、彼はどこで何をしているのだろう…。
本多は三日間通ったので、最後のシーンはまるで終わらない悪夢の中にいるみたいだって何回も思いました。
シリーズ通して出てくる「我は守護者なり」がSPECTERではシャドの役目でしたが、発言した彼の本心ではなかったんじゃないかな…とほんのり思っている…。ほんのりとか言いつつ太字にしちゃった。どうなのでしょうわかりません。世の中わからないことだらけだ。


でもね、彼のローザへの想いは『どんな罪をも背負う覚悟で守護者になる』なんて痛々しいものではなかったと思うんです。
「守らなければならない」なんて、絶対に平常時の彼なら口にはしない。彼にとってそれは義務ではないはずだから。作中で何度も口にする「俺は君を…」の言葉がとても印象に残っていて、その続きを言葉にすることはただの一度もなかったけれど、とても暖かい気持ちだったと私は思っています。守りたいんだ、ともまた違う気持ちを伝えたかったんじゃないかなぁって思うんです。


串刺しにした相手から、「君は優しい人だ」なんて言われる痛さはどれ程のものなのでしょう。
シャドの愛が、優しさが、ローザをここまで暴走させたのかもしれない。トルステンの「なんでこうなっちまった」のセリフも彼に突き刺さりますよね。私だったらまるで責められているように感じてしまうかもしれない。

シャドはカルロに対してどんな感情を抱いていたんだろう。
嫉妬はあったのかな。ローザの邪魔をしないでくれって思ったのかな。村の掟を守っていればお前も守られるのに、なんてことも考えたかもしれない。でも、シャドは誰を責めるでもなく自分を呪いながら生きていくのだろうな…それかその矛先はTRUMPに向かうのか。





シャドの陰が濃くなっていく一方で、光が強くなっていくカルロが眩しかったのも印象的です。
みんな楽しく過ごしていた日々にはもう戻れないのかなって、カルロは何度胸を痛めたのだろう。


家具を壊されてシャド達をかばう一連の言葉に込められた想いが、公演の後半どんどん強まっていったように感じます。その変化がとても好きでした。

本当の彼らはこんなことする人たちじゃないっていう、最近何かを隠している2人に対しての疑いを拭いきれない彼の辛さや、苦しさがより強く滲んできた気がしました。
シャド達がやったと、カルロは気付いていたかもしれない。
でも自分はシャド達が「どうせ」と言われるような人達じゃないと知っている。本当“は”、優しい人なのを知っている。だから、そういう扱いをした萬里の言葉が許せない。カルロの憤りはどれほどのものだったのだろう。


ところでなのですが、「君は優しい人だ」の真意を教えてくださいカルロくん…。読み取れなくてすみません。そこはこうだと思いますよ!っていうのがある方はぜひご意見伺いたい。
シャドが自分に対して刀を向けた時のあまりに辛く苦しそうな姿を見て、そう思ったのかな。僕を止めてくれてありがとう、の気持ちもあったのかな。薄れていく意識の中、闇の中に倒れて見えなくなる瞬間もずっと柔らかく微笑んでいるのが、全てを許してくれる聖母の如き微笑みで、毎回目が離せなかったです。



トルステンもずっとシャドの傍で協力していたけれど、最期の「何でこんなことに」でドバっと涙が溢れてしまった。どこで間違ったんだろう、どうして止まれなかったんだろうって、あまりにもあの瞬間の観客の感情とリンクしすぎていましたよ…。

友だちだったはずの3人がその形を保てなくなったのは、確実にローザの計画があったからですよね。
村人達は記憶操作でヒューゴたちのことを知らない=供物のことも知らない、はずなので正気の状態で計画を全て知っていたのはローザとシャドとヴァンプ組だけ。
トルステンはただただ村の掟を破るカルロに怒り、村長代理であるローザやその側近的なシャドの指示に従って怪しいヤツを除外しようとしていただけだとしたら。イニシアチブ発動して一心不乱に戦ってきたけれど、ふと我に返った瞬間大事なものは何一つその手に残っていないなんて。はぁーーーしんどい、しんどいよトルステン…。








ダンピールの皆さんのことを考えるとあまりにもどん底の気分なので、ちょっとテンションあがる話題に変えたいと思います。そうですクラナッハさんです…!




まぁーっ!!まぁーーーーっっっ!!!!!とーるくん!!!あなたって人は!!!!!まぁまぁまぁまぁ!!!!!!!!!!!

って東京初日に叫び倒してしまうくらい最高に最高を重ねていらしたんですよ…!
COCOONの稽古を経たからなのか、大阪と東京の間に何かがあったのかは分かりませんが、田中亨の恐ろしさの片鱗を目撃してしまいました…。


クラウスの血に、我を忘れて夢中になる姿から放たれる狂気がね、とても濃かったんです。噎せ返るような血の匂いがするお芝居だった。異常な現場を目撃してしまい息を殺しているサイレントホラー映画の主人公の気分だった。ミツカッタラオワリ。



最初はハリエットに対して冷たいなぁなんて思ったりもしました。
男は子どもが産まれないと自分が父親である自覚を持てないからなのか、研究のための非人道的な行いを彼女に知られたくなかったからなのか、彼の冷たさの背景には何があったんだろう。可能性が沢山ある中で、私は父親の自覚ナシナッハさんがいいなぁって思います。だからこそ最後の父性が芽ばえるナッハさんが活きてくる気がします。

妻と義父の弔いのために小屋を燃やす=研究を全て失うという選択は彼にとって一大決心ですよね。でもあの瞬間彼の中で花よりもハリエットへの想いが勝ったんだ…遅いよ…ばかもの…
最後に我が子に残したのは、「悪いんだけどさ」から始まるとても自分勝手な願いだった。でも父親が我が子に自分の夢を託すのってすごくあるあるというか、社会性が欠如した彼なりの、父親らしい姿のひとつなのかもしれないとも思いました。永遠に枯れない花となったソフィのことを思うと、あれは願いなのか呪いなのか迷ってしまいますが。イニシアチブなんかなくても、強い想いは願いにも呪いにもなるんだな…なんてわかったような顔をしてしまう。






そして、石舟。
竹下さんご自身も語られてましたが、回を追う事に石舟から萬里への愛情が増していくのを感じて辛くて仕方なかったです。


初めて上手に座った日、萬里の仇をとった瞬間の石舟の表情がとてもよく見える位置でした。
ヒューゴの喉を切り裂いた石舟の、今にも泣きだしそうな顔。また思い出し泣きする…。横たわる相棒の名前を呼ぶ、その一言に込められた痛みが会場中にぶわっっって広がるのを感じました。たった一言なんだけど重たくて。次々に展開する流れに悲しむ暇も与えてもらえないのが、戦況の忙しなさを感じさせました。



竹下石舟のスッとした立ち姿に、槍がとても似合っていらっしゃるなと思いました。殺陣は詳しくないけど、はぁ!そんな戦い方が!みたいなのが沢山あって星璃さんすごい…それを扱う竹下さんもすごい…って感動しました。『かかってきなさい』風の指クイは最高に最高を重ねて最最最最最最高でした!!

最初に「ベストパートナー」って冗談めかしく言っていますが、猪突猛進型で突拍子もないことを言う萬里のことを石舟はかなり、とても、気に入っていますよね。
萬里だって自分のストッパーでいてくれる石舟を何だかんだ頼りにしていたはず。石舟がバンリと共に旅をすることを受け入れられるまでどれ程の苦悩があったのだろうか。
仮面カテコ大好きなのですが、仮面をつけた相棒の隣で今にも泣きだしそうな石舟の表情を目にした瞬間止まっていた涙がまた溢れ出した時があって。ああいった状況の中で生き残った者のつらさというのは、計り知れないです。







再→初の順でSPECTERを観た私にとって、こんなにも役の解釈が異なるのかと驚き感動した役がヒューゴです。

萬里の場合は描くために使う画材も画風も違うけど、完成するのは同じ『萬里』な一方で、ヒューゴは全く異なる『ヒューゴ』が描かれていると思いました。(分かりやすく例えようとして逆に分かりにくくなった)
どちらも再演をやるからこその面白さで、本当にお芝居って奥が深いなと思いました!(小並感)



サトクリフが言った、繭期を拗らせてるもう一人はプリンセスに駆け寄ったグレコではなく、ヒューゴに対してですよね?(イニシアチブ前のサトクリフがヒューゴに対してばちばちにムカつくって顔するの好きでした…ほんの一瞬でその時終わるけど…)

ローザと出会わなければ彼は繭期を拗らせ、自らをTRUMPだと謳い、仮初のプリンスになることもなかったのかな。それとも彼女との出会いに関わらず彼はその道を辿ったのかな。彼にとってローザは対等な共犯者だったけど、ローザにとっては駒でしかなかったんですよね。用意された舞台の上で躍らされていたんだなぁ。



ヒューゴの声の深さ、圧、艶、全てが東京で大阪を凌駕していらして、ずっと聞いていたかったです。言ってること大抵理解し難いけども。と言いつつも、「なぶり殺してやるよ」が大好きなんです!殺すことよりも、散々邪魔してくれやがった萬里達を嬲ることを楽しもうとしている感じがして、幼女さながらキャッキャと喜んでしまいました。(幼女は嬲るで喜ばない)


ヒューゴがローザに頬包まれて「女」って言うところ、跡部様の「お前、面白い女だな」を彷彿とさせて楽しい気持ちになりました。勝つんは繭期、負けるのハンター。生まれてこの方跡部景吾のオンナだったことは一度もありませんが。









繭期チーム、最初はやってる事があまりにも残酷で彼らに対しての気持ちを決めかねていたのですが、バルトロメちゃんの最期の台詞が私を納得させてくれました。

「繭期だからしょうがない」という言葉を耳にした瞬間、そっかぁ、仕方ないのか…ってやるせなさが爆発しました。自分勝手な台詞だけど、でも、そうなんだよねって、誰を責めたらいいのか分からなくなってしまった。彼らだって元々は普通にクランで学園生活を送って、笑ったり怒ったりしていたはずで。

彼が死の間際に語る時は声のトーンも一人称も変わっていて、正気だったはず。退屈な日々を変えたいなんで誰でも思うことなのに、何でこんなことになっちまったんだろうな…本当に…。全部繭期のせいだ…。






グレコはどうか生き残って繭期を抜けてもふもふの国で幸せにもふもふしていて欲しいです(?)

あの包帯?マスク?の下の口元どうなってるんだろう…グレコが繭期の症状悪化させると一番危険な証拠だったりするのかな。わんちゃんにゃんちゃん大好きな彼だから、自分のことも獣だと思い込んでがぶがぶしてしまうのかな~だからあれは口枷なのかな?って思ったり。

あの立ち姿も四足歩行の動物の直立姿勢みたいですごく好きでした。
あと細かいな~と思ったのは、最後グレコが逃走したシーンでの走る音がタタンッタタンッて音だったところ。獣だ~~~!!!!!って大興奮した!


グレコは本能で危険察知して戦闘回避で逃げるが勝ち戦法したし、作中ではそんなに気性激しくないし、主要人物に致命傷与えるシーンないし、「死ね」って言わないからそれだけで好き枠に入る。穏やかなのがいいよ穏やかなのが…。












と、ここまでぶわっと書いて参りました。再演SPECTERに思うこと。今回このブログを書いていて思ったことがありました。作品本筋とは関係ない事なのですが…。



私が劇団Patchさんを知ったのは昨年末です。超ピカ!で納谷さんを知り、所属劇団があることを知りました。
皆さんのSNSやブログを日々チェックする中で、印象に残ることはあっても、どこか画面の向こうの人感覚でぼんやりとした像でしか捉えられていませんでした。自分の中で(ちゃんと観た事もないのに騒いでいいものか…)っていうストッパーが働いていたところもあります。


『納谷さんのいる劇団』から、ちゃんと輪郭と肉感をもった『劇団Patch』になったのが大阪初日。これが劇団Patchaか…!って実感できて、本当に嬉しかったです。
好きな人の大事な場所が、私自身にとっても大事な場所になったのを感じました。
そして東京公演終えた今、やっとスタートラインに立てたような気がする。ぱっちのオタクを名乗ることに対して若干の気兼ねがあったけれど、今は、好きな役者さんがいてね!だけじゃなくて、好きな劇団があって!!!も胸張って語れる。それがとてつもなく嬉しくて、幸せ。






そんな、超個人的な想いがこもったSPECTERのDVDは半年後の10月に発売ですね。(無理やりまとめる)

石舟とノームのネブラ村再訪までの期間と同じ半年。半年後の私はどんなオタクになっているのかわかりませんが、今よりもっと幸せなのだろうなと思います。
また次の公演も、そして個人個人の活動も、ひたすらに応援していきたいなと思う次第でございます。

脳内残しておきたかっただけのブログでしたが目を通してくださってありがとうございました。