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『COCOON 月の翳り 星ひとつ』月の翳り編 感想

月の翳り編☽︎‪︎.*·̩͙‬
観劇してきました。月の絵文字が可愛い。

星は観れてません!!!観劇予定の日に仕事入ってしまい行けずに終わりました…。
星みたかったなぁ…私の両の手は星に手が届かない…。





※以下感想です。考察とかは全然なくて本当にただの感想です。
ネタバレてますのでお気をつけてお進み下さいね!























痛い
苦しい
逃げ場がない

の三重苦でした。
泣ける作品!っていうよりも、なんだこれ…もうやめようよ…話せばわかるって…ね…お願いだからお話しよ…冷静に気持ち伝えあおうよ……。ってそれが出来たら繭期じゃないよね…はは……ってなりました。話し合えたとて理解し合えていたかはわからないですけども。終わったあとはとにかく“無”でした。ぼーっと一点見つめて動けなかった。胸のど真ん中がずどんと重たくなって、しばらく動き出す気力が湧かなかったです。








叫び声って、それを聞くだけで気持ちが侵食されていきますね…。疲弊といいますか、その気配に当てられるといいますか。込められている想いが爆発して空気がビリビリするのを感じる度に、少なくとも私にはその思いが届いているよ。あなたの痛い思いを、私は聞き届けるよ。って返してあげたくなりました。

感情が塊になって飛んできたあの感覚をどう説明していいか分からないのが悔しい。
あまりに絶え間なく、苦しさや、寂しさや、愛を求める痛々しい気持ちが流れてきた。それを受け止め続けてたら、終演時には完全にキャパオーバーで感情が機能停止してた。空気の質量が本当に重たかった。空気の圧で身体をぎゅっと押さえつけられて動けなくなる感覚。重たかったなぁ…。


とは言っても、理解しきれない部分は沢山ありますし、彼らが理解して欲しい相手は私ではないんですけどね…。
他人である以上100%理解し合うなんてことは不可能ですよね。『君は僕だ』なんてことはあるはずがないんだ…つらい…。のめり込みすぎた同一視って本当に恐ろしいです。心の支えにしている相手が自分を支えにしてくれていないと、一気に崩れちゃう。なんて、このシリーズのひとつの柱であるフレーズにまで悲しみを覚えてしまう。
吸血種、不老不死っていうファンタジーな世界ではあるけど、COCOONのストーリーの主軸が家族や愛やアイデンティティのお話だったからそういう所でも具合悪くなりそうでした。






イニシアチブだとか名前だとか、色々な呪いや支配があるけれど、結局は各々の捉え方や感情が左右するところが大きいのかもしれないなあと思うことがあります。(シリーズの大前提覆すようなことを、こんな新参者が何言ってるのかって怒られるかもしれませんけど!)
ラファエロが最後全てを受け入れて決意した、ウルを守れるくらい強くなるんだっていう覚醒にも近いような強い想いは、呪いではなく希望だと私は受け取りました。


自分を見て欲しいという絶望的な願いの中での、お父様に愛されるための手段。それはラファエロの中で光に向かう道筋だったはず。自分の人生を諦めたのではなく、受け入れて決意したように思えました。

あのシーンでの産声はウルの声でしょうか?ウルとラファエロとの年齢差詳しくわからないんですけど、ウルと自分に血の繋がりがないことに気付いたり…?それはさすがにないですかね…。
ウルが産まれる前の、ダリちゃんとラファエロの親子的な関わりってどんなやり取りがあったのでしょうね。その頃から厳しかったのかな。まぁでも多分物心ついた時にはウルがいて、ウルを守ることこそ自分の使命のように繰り返し言い聞かせられていたら歪んでしまうのも道理ですね…やりきれない。



ウルを守れるくらい強くなることが、家を守り、強いては自分を守ることに繋がるんだと、そんな愛をこめていて欲しい。ラファエロに救いが欲しい。

フリーダ様から厳格な父であれと願われた彼は、毅然とした態度で貴族としての姿勢を示し、父親であろうとしたのでしょうか。ウルは守る対象で、ラファエロは貴族として育て上げる対象だった。
ラファエロのあの怯え方を見ると完璧に愛情の与え方を間違えてしまった感ありますけど…。というか子育てにおいての愛情の与え方なんて、人それぞれですけどね!愛してるよー!ってしてあげることが答えだと思う人もいれば、厳しく接することが答えだと思う人もいるし。だからダリちゃんのあれそれはダリちゃん的には愛だったんだと!でも対応の差って子ども敏感なんだよって!!!!


私が乳母になってあげたい。ラファエロぼっちゃん、ばぁやが傍におりますよ。お外はもう冷えて参りましたから、お部屋に戻りましょう。鏡をご覧になってください。ぼっちゃんのお顔立ちは御両親によく似ていらっしゃいます。お母様に会いたい時は鏡を覗いてみては如何でしょうか(たのしい)




荒木さんの動きがお人形さんみたいに見える瞬間が多々あって、観ていてとても興奮しました。ただでさえお顔がお人形さんなのに…!
操り人形、マリオネット、そんな雰囲気があって最高に狂ってました。永遠に繭期の中で踊り続けてるんだなぁって割と本当に信じてしまいそう。TRUMPシリーズは基本的に終わらない悪夢だと思っていて、終演して幕が降りたらテープがキュルキュルって巻き戻されてまた一から始まるイメージ。厨二か!って。
荒木さんはその全ての記憶がありそう…って、実際に何公演もやってきているわけだから事実そうなんですけどね。





ラファエロが二択を迫られるシーンで個人的に熱いものが込み上げてきたのは、エミールが「僕はウルじゃない!」って言外にアンジェリコを選ぶように言ったところでした。エミールってばなんていい子なの…今でも涙が滲んでしまう。あんな状態で、僕は本当のウルじゃないんだから選ばないで!って言える?言えないですよ…。弟に見えていることで命が助かるならそれを利用してもおかしくないのに。
ディエゴはおばかさんだなぁ…こんなにいい子がそばに居るのに。本当に大バカ野郎のすっとこどっこいのおたんこなすだよ。



アンジェリコは、ラファエロが家名を背負って自分と競い合って生きることが本当の望みだった訳ではないと思いました。
君は僕で、僕は君。僕の唯一無二が君であるように、君にとってのそれが僕であってほしかった。ラファエロに愛されたかったのかなって思いました。(愛って、色々ひっくるめての愛ですよ!)








ところで私最近田中亨くんを褒め称える協会に入会したので早速会員活動させてもらいますが、本当に田中亨くん、いや、田中亨さん!!!田中亨さんという役者さんが!!!!!!!とてもすきです!!!!!!!!

ジュリオすきすきだいすきでした!嬉しい!田中くんの役が、純粋な気持ちで好きでいられる役で嬉しい!たまらなく愛しい!!嬉しい!!!!!
オペラグラス持っていかないタイプなので、しばらくどの子が田中くんかわからなかった。遠くからお顔の雰囲気とか背格好とかで判別するのはなかなか難しくて…。声聞いたらわかる!って油断していたら「あなたなのーー!??!!???」って驚愕でしたよね。


黒髪ロングにフリフリレースのお袖。
美人ーーー!!!!声低ーーーーーーい!!!僕ちゃーーーーん?!!??!
僕ちゃんキャラって普段そんなに好きにならないんですけど、そういうの凌駕してくるのが田中亨さんです。お高く止まっているように見せかけて、仲間思いの優しい子でしたねジュリオくん。えっ、普通…えっ……ジュリオ…普通の子だ……でも確実に繭期、それが凄い。だるそうでこの世の全てに退屈していて、お姫様みたいで愛おしい。


退屈しているとか言ってるけど放っておけないの、結局は楽しかったんだろうね。退屈退屈って言ってるけどその中でも彼との日々には間違いなく彩(いろ)があったはずなんですよ。ジュリオに視える感情の色とはまた違い、日々が彩られるような感覚があったんだと信じています。ところで顔の白い部分が少ないのって繭期抜けそうだったからなんですかね。わからない。




投薬を持ちかけられたジュリオが、キミは退屈させないなぁって揺らぎながらも、最終的にあちら側へ行くことを拒むのがいいですよね。

エミールにいっちゃだめだ!って止められる階段のシーンがとても印象的でした。
みんな大好きふせったーでディエゴとジュリオに関してのとても興味深い考察を拝見して、間違いなくそれです。となったので早く円盤がほしい。そうかもしれない裏設定(?)を頭に起きながらまた観たい…!






一時の退屈しのぎだといいながらも、ジュリオにとってディエゴやエミールとの日常は楽しかったはず。そこにあったのは友情だったはず。




最後の語りがとても好きでした。
クランに置いていこう。そしていつか懐かしむんだ、って。言葉ちゃんと覚えていられないのが悔しい。


『置いていく』ってとっても素敵な表現ですよね。
捨てる、忘れる、蓋をする、なかったことにする、そのどれとも違う。確かにそこにあったからこそ、置いていけるんですよね。

彼らの友情は終わっていないし、壊れてもいない。
でもそこに縋っていたらいけないんだっていう想いもあったのでしょうか。友情は血と共に流れて消え去ってはいないけど、道は確実に違えてしまったのが悔しいやら切ないやらやるせないやら。

大切な宝物だからこそ、共に過ごした場所に置いていくのがいいんだって、そんなこと言えちゃうジュリオ好きにならないわけがないんですよ…
そしてそれを落ち着いた低めの声で、大事なものを見つめる眼差しで語る田中くんがたまらないんですよ……




本当に田中亨さん、本当に。田中亨さん。本当。思い出したように、熱に浮かれたように、口を開けば「とおるちゃんが…」って言ってます最近。
本当に素敵な役者さんです…劇団Patch知らない友だちにおすすめするとしたらまず亨くんからかもしれない。
人畜無害そうなぽやぽやオーラで油断させておいてウォラァアアア!みたいな(?)


最近パチステの『羽生蓮太郎』を観たこともあって田中亨さんも~~~~~~~~~~~~~本当に~~~~~~~!!!!いい!!!!!!PASMOにチャージしてあげようね~!!!あっICOCAか!!!ICOCAチャージしてあげようね~~!!!!!の気持ちになるんですよ…
ちなみ2019年5月現在、正規購入できるパチステDVDの中でハブレンがいっっっちばん好きかもしれません。

田中亨さんは全人類のヒロインなのかもしれない(気付いてしまった顔)








話がぱっちさんになってしまったので心を鬼にして月の話に戻します。


最初にディエゴが『嘘』って言った時。繭期の中の自分が『本物』だから、屋上で希望を語ったのは『嘘』だと表現したんだと思いました。でも、本当の本当に、彼自身が『嘘』だった。

そんなことってある~??そんな悲しいイニシアチブがあっていいの~~????って暴れまくりましたが、イニシアチブなんて悲しくてつらいものばっかりだった…。
最後、お家の人がそんな子はいないって返事をしたのはイニシアチブが解けたから?自分の生い立ちを周囲に暴露したことで、ディエゴの中の"グランド家の子である"という意思が完全に消えてしまったからなのかな。んーーーーわからないことばかりです。







そして月の翳り編で、以前からそうだろうなと思っていたことが確信に変わった話。

グスタフの片目。そうだろうなって思ってました。片目の眼帯気になるなって思ってて、COCOONでそこに触れたらどうしようハハハとか思ってました。触れちゃったよ…。この事実を突きつけられた時、割とスっと受け入れられた自分には驚いたような、そんな気がしていたような。本当にグスタフに対しての怒りはほとんどなかったんです。


繭期を抜けて大人になったグスタフ。荒々しさはありながらも、かつて繭期だった頃のような獰猛さや凶暴性はもう見られない。怒りが湧かなかったのはそれもあったのかなぁ。
グスタフ自身が極悪非道で、人の命を何とも思っていないような性格だったら、腸煮えくりかえるくらいの想いで憎んでいたかもしれない。でも、そんな人はどこにもいなかった。憎みたかった"片目だけが銀色の吸血種"は繭期と共にどこかへ行ってしまってような感覚です。

むしろそんな繭期を美しいとして(いや、繭期は美しいんですけど)投薬実験をして、若きヴァンプたちの人生を私物化し狂わせたドナテルロに怒りと嫌悪感が増し増しになりました。






と、TRUMPシリーズってことを忘れるくらい人間臭いドラマでした。(人間じゃないけど)
薬から抜け出せない人たちと家名に縛り付けられる人たち。その周りの人たち。友情や愛や家族のお話。間違いなくTRUMPシリーズなんだけど、ファンタジーっぽくなくてドロドロしていた。


そんな月の翳り編でした。
さっぱり終わる!